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【第12回】「無縁社会」取材の後に・・・

NHKチーフ・プロデューサー 板垣淑子

 きずなの会を初めて訪れたのは、もう十年前になる。「NHKスペシャル無縁社会」の取材で、頼れる身内がいない人たちが、「自分の死後に迷惑をかけたくない」と納骨や遺品整理の申し込みが相次いでいるという取材だった。その時、きずなの会に紹介を受けたのが石山幸子さん(仮名)だった。
 そして、先日――石山さんの訃報が突然届いた。久しぶりにきずなの会の方々と石山さんのことを語らい、その際にこの原稿を依頼されたので、石山さんとの思い出をつづろうと思う。
「無縁社会」の取材中はもちろんのこと、放送後も何度か石山さんを訪問し、その度に歓待してもらった。
 訪れるたびに、いつも振る舞ってくれたのが「ゆで卵」。一度、「おいしい」と言って、ふたつをペロリと平らげたことを覚えていて、それ以来、いつも「ゆで卵」が用意されていた。帰り際には、お土産といって「ゆで卵と塩」を手渡された。人を喜ばせるのが大好きな、優しい人だった。そして――孤独な人だった。
 石山さんは、満州からの引き揚げ者だった。父親を戦時中に亡くし、母親と妹と帰国した日本では住む家さえなかった。四畳半一間のバラックで三人で暮らし、看護師の資格をとって家計を支えた。妹の進学費用を稼ぐため、白衣以外の洋服も買わずに働いて、妹を高校、短大へと進学させた。その妹が嫁ぐと、病弱な母親を一人で支え続けた。30代の頃、介護と仕事の両立のためにプロポーズをしてくれる男性がいても、結婚に踏み切れない時期を過ごした。40代、母親と同居し、介護を続けた。母親を看取って、一人、残されたのは40代後半だった。
 それから生涯独身を貫く覚悟で生きてきた石山さん。助産師の資格をとり、75歳まで現役で働いた。私が出会った79歳の時にも、背筋がシャンとして、ハキハキとした物言いの女性だった。
 「きずなの会」では、4月に納骨すると話してくれた。数千人が入ることのできる共同墓だ。墓の下見に一緒に訪れた時、石山さんは「これなら亡くなった後は寂しくないわね。」と笑っていた。
 墓を訪れた日、白い雪が舞い散る中で、石山さんと一緒に、先に入った魂に祈った。共同墓の前で石山さんは長い間、手を合わせていた。
 「あの世に行ったら、あの世でも看護師をしたいの。仕事をしていたら寂しくないものね。」
 納骨を終えたら共同墓へお参りに行こうと思う。そのときに、聞いてみたい。
 「あの世では、楽しくしていますか?」
 独り暮らしの高齢者が6百万人を超えて増え続けている。孤独は私たちの隣にあるのに、気づけずにいる。たった一人でもいい、「私が生きている」ことを知ってくれる人がいれば――そんな思いを抱えながら生きている人は大勢いる。その人たちの思いを受け止める一人に自分がなる――その覚悟を持てる人に私はなりたい。
【第12回】「無縁社会」取材の後に・・・
板垣淑子(いたがきよしこ)略歴

1994年NHK入局。報道局制作センター、仙台局、報道局社会番組部などを経て、大型企画開発センター所属。主な担当番組は、NHKスペシャル「ワーキングプア~働いても働いても豊かになれない(2006年)」(ギャラクシー賞大賞)、同「無縁社会~“無縁死”3万2千人の衝撃~」(菊池寛賞)、同「終の住処はどこに 老人漂流社会」(2012年)、などを制作。2015年、放送文化基金賞個人賞を受賞。